
やなせたかしの戦争体験と人柄エピソード!アンパンマンは戦争体験から生まれた
今や国民的人気キャラクターとなった、異色のヒーロー「アンパンマン」の生みの親として知られる漫画家のやなせたかし先生。アンパンマンというヒーロー像が、壮絶な戦争体験から生まれたというエピソードや、やなせたかし先生の人柄がうかがわれる2つのエピソードについてまとめました。
やなせたかしのプロフィール
やなせたかし先生と言えば、今や国民的人気キャラクターとなった「アンパンマン」の生みの親として知られています。
冴えないこげ茶色で、焼け焦げだらけのボロボロのマントに身を包み、恥ずかしそうに登場しては、自分の頭を食べさせることでお腹が空いた人を救う…。
どこか自虐的でみすぼらしい異色のヒーロー「アンパンマン」は、実は誕生当初は絵本の評論家や幼稚園の先生たちから酷評されていたと言います。
しかし、やなせたかし先生は、そんな外野の声など気にも留めず、次のような独自のヒーロー像を決して曲げることはありませんでした。
「ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです。」
そんな確固とした想いが子供たちの純粋な心に響いたのでしょう、やがて3歳から5歳の幼児を中心に人気が爆発し、絵本はたちまちベストセラーに…
そして、1988年にアニメ化された「それいけ!アンパンマン」も大人気を博し、やなせたかし先生は売れっ子作家の仲間入りを果たしました。
その後は、「アンパンマン」以外にも、絵本作家やデザイナー、作曲家や詩人など様々な方面に才能を発揮したやなせたかし先生でしたが、2013年10月13日、多くのファンに惜しまれながらお亡くなりになりました。
やなせたかしの戦争体験から生まれた異色のヒーロー「アンパンマン」
現在の千葉大学総合工学科デザインコースに当たる、東京高等芸学校図案科を卒業したやなせたかしさんは、同校卒業後は製薬会社に入社し、宣伝部に配属されました。
しかし、1941年には徴兵により大日本帝国陸軍の補充隊へ入営しました。
現在で言うところの大学卒業という高学歴だったやなせたかしさんは、暗号を解読する部隊の下士官に配属されたことから、前戦に立つこともなく、比較的平和だった中国の上海郊外で終戦を迎えました。
それでも、泥道を延々と歩き回ったり、一睡もせずに敵の交信を傍受して、暗号解析の任務に当たるなど、辛いことも沢山あったそうで、そんな中でも最も辛かったのは「飢え」だったと後に語っています。
食べる物が何も無く、その辺に生えている野草を食べて命を繋いでいたこともあったそうです。
そんな過酷な飢えに苦しみながらも、戦争の“正義”を信じて戦ったやなせたかしさんでしたが、1945年の敗戦を境にその信じていた“正義”は一変し、現地の人から「悪魔の軍隊」と呼ばれるようになったのだとか。
その後長らく「本当の正義とは何なのか?」と、自身の中で自問自答が続いたそうなのですが、その結果として出て来た答えが…次の通り。
「正義のための戦いなんてどこにもないのだ。正義はある日、突然反転する。逆転しない正義は献身と愛だ。目の前に餓死しそうな人がいれば、その人に一片のパンを与えること」
そんなやなせたかし先生なりの“正義”を形にしたのが、異色のヒーロー「アンパンマン」だったのです。
「そんなみすぼらしいヒーローなんて流行るわけがない」
こんな大方の大人たちの予想に反して、たちまちのうちに幼い子供たちから絶大な人気を博したアンパンマンは、以降、実に半世紀以上に渡って愛され続ける大人気ヒーローとなりました。
本名: 柳瀬 嵩(やなせ たかし)
生誕: 1919年2月6日
出生地: 東京府北豊島郡滝野川町(現:東京都北区)
出身地: 高知県香美市香北町
死没: 2013年10月13日(94歳没)
職業: 漫画家・絵本作家・詩人など
活動期間: 1947年 - 2013年
ジャンル: おとな漫画、絵本
代表作:
・ 『アンパンマン』
・ 『手のひらを太陽に』